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平成25年度野々市市学童野球連盟総会が開かれる!
平成25年3月23日(土)午後7時から市民体育館会議室において役員、理事、加盟チーム代表が集まり、平成25年度野々市市学童野球連盟総会が開かれました。
総会議長に富陽学童野球クラブの西野豊氏を選出し、西川昇剛市連盟会長のあいさつのあと審議が進められました。
まず、平成24年度事業報告・行事報告、決算及び会計監査報告が行われました。続いて、規約改正案、大会開催要項改正案、平成25年度事業計画案及び予算案が審議され、いずれも全会一致で承認されました。
さらに、今回は役員改選年(任期2年)であり、下記の役員が選出されました。
記
平成25・26年度の役員は次のとおりです。(敬称略)
顧 問 粟 貴章
参 与 福岡秀夫
会 長 西川昇剛
副 会 長 内村誠治
理 事 長 武部 保
副理事長 大久保邦彦
事務局長 釜 良一
事務局次長 松田幸弘
会 計 北山英和
運営委員長 山下良和
副運営委員長 山口義治
審判部長 飯塚寿美夫
理 事 池田正司、織田和美、大野木雄一、長沢玄成、
宮森恒成、西野 豊、宮川和彦
会計監査 山本義明、山内政樹
石川県野球協会学童部派遣 西川昇剛(副会長)
北山英和(理事)
野々市市野球協会派遣 西川昇剛(副会長)
釜 良一(理事長)
武部 保(理事)
平成25年度運営委員
山下良和、山口義治、東 和臣、道端幸一郎、道下充典、大野木雄一、二俣諭司、亀田勇人、小上坊和也、水越 徹、河野 勉、北村大助
平成25年度支部公式審判員
飯塚寿美夫、内村昭夫、池田正司、南野 勝、山口松雄、塚崎裕康、吉本栄一、今本圭介、長田秀己、宮森恒成、中野裕志、松本英文、林 浩陽、田川照史、伊藤 淳、宮川和彦、樋口良昭、砂走政幸、新森久夫
以上です。
第34回野々市市学童野球連盟春季大会組合せ抽選結果
平成25年3月23日(土)午後6時45分から市民体育館会議室にて、第34回野々市市学童野球連盟春季大会組合せ抽選会が開催されました。 組合せ結果は次のとおりです。
なお、運営委員の方々の集合時間は、午前6時30分です。よろしくお願いします。また、1名増の各チーム3名でお願いします。
◎平成25年4月7日(日)
☆市民野球場
8:00 各チームグラウンド集合(入場行進整列)
8:20 開会式
選手宣誓 御園学童野球クラブ 大野木 悠 主将
9:15 野々市-菅原 審判:館野
11:15 野々市-館野 審判:菅原
13:15 御園-館野 審判:富陽
☆中央公園運動広場
9:30 富陽-御園 審判:野々市
11:30 菅原-富陽 審判:御園
◎平成25年4月14日(日)
☆市民野球場
9:15 菅原-御園 審判:富陽
11:15 菅原-館野 審判:御園
13:15 富陽-館野 審判:野々市
☆中央公園運動広場
9:30 野々市-富陽 審判:菅原
11:30 野々市-御園 審判:館野
閉会式(表彰式)
15:30 市民野球場
※雨天予備日:4月21日(日)、市民野球場、富陽小学校
※この結果により、全軟野々市支部予選の対戦相手が決まります。
※大会(リーグ戦)の順位決定方法
①勝敗
②当該チーム同士の試合の勝ちチームが上位
③当該チーム同士の全試合失点数の合計が一番少ないチームが上位
④当該チーム同士の全試合得点数の合計が一番多いチームが上位
☆春の連盟主催懇親会について
日時 平成25年4月7日(日)午後6時
場所 ジョイハウス(本町5丁目)
会費 1チーム10名4万円(連盟役員含む)
1名増毎に4千円
※当日、大会が雨天中止となった場合でも行います。
以上です。
中川一政館を訪ねる
遠出がおっくうになる冬期、近隣にある美術館や博物館をたずねてしばし俗事を離れるのが、近年私にとって恒例化。なかでも、中川一政記念美術館(白山市旭町)は最寄りとあって、足が向きやすい。先般も平日、他の来館者がいない館内をこころのおもむくまま作品を鑑賞。その時の印象をメモを手がかりに綴ってみよう。
小品中心の第二室にある「スペイン文筥と白椿」が、幾たび訪れても心に喰い込んでくる。岩彩を薄くぬり、一見荒っぽい筆使いの絵だが、朱の文筥とバックに塗られた暗緑色が互いに調和、一輪の椿の白い花がポイントとなって全体を引き締めている。(陶板の写真参照)歪んだ形状の小筥、そのエキゾチックな絵模様の細部もほとんど描いてないが、少し離れて作品を眺めると、配色・構図とも心憎いばかりにピタリと決まっている。 ―作品に接した瞬間の共鳴感というか、すっと心が吸い寄せられる状況を言葉に表すと、もどかしいくらい冗長なものになってしまう。― 同種のモチーフを扱った作品として、「支那文筥」も同じ部屋にある。
マジョリカ壺に赤い椿を挿した「椿」は、画面一杯に広がる椿の小枝が頭でっかち気味で不安定な構図なのだが、右下に配したクロス(十字)型のサインが巧みに重心を下げて、心理的な平衡を与えてくれる。一見無造作に見えて、すごく計算された絵と評せよう。否、むしろもう構図などを意識せずとも、永年の経験から自然に描かれた結果なのかもしれぬ・。
マジョリカ壺は油彩の「向日葵」でも描かれているが、氏の著作の中から『マジョリカ壺はコレクションではなく実用品だ。花瓶には伊賀や備前など日本の陶器よりどうも西洋くさいものの方がうつるようだ。マジョリカは南国的で陽気で暖かみがある。少しラフな方がいい。』との抜粋文が紹介されていたが、―少しラフな方がいい-というところが、氏の画風ともマッチしているようだ。
朱色の鯛と灰青色の鰺を配した「魚」など、暖色と寒色の対比で互いのモチーフを引き立たせる色彩感覚も氏独特というか、絵の味になっている。
展示品の半ばを占める書も、絵と同じ不器用さが味わいとなっている。柿本人麿などの万葉歌を配した「六曲屏風」(97才)や「萬劫年経る・・」(86才)などの梁塵秘抄もの、あるいは「汝は帝王なり独り生きよ」(プーシキン)など大正ロマン期に青年期を過ごした氏の嗜好がうかがえるようでおもしろい。
昭和61年(1986)10月10日、松任市の市制施行記念日を選んで、中川家からの寄贈作品を主体にこの記念館が開館。私が当時在籍していた日硬(現ニッコー株)社長三谷進三がその陰で尽力したなどの縁もあって、この4半世紀、4~5年に一回くらいの割でこの館を訪れているが、その都度新しい発見というか興味が見出せて楽しめる場所だ。
(‘13-1-27記)
ドイツからの賜り物
最近この店で、お気に入りになった抹茶ラテ。残り少なくなったその濃い緑色と雪のような白いラテの混ざり具合を、ゆっくり味わいながら、三矢は窓外に視線を転じた。総ガラス貼りの壁面を隔てて、道行く車や駐車場に出入りする人たちの様子が手に取るように見える。あわただしい師走の街かどだが、きれぎれの雲間より、淡い冬の陽差しが覗き、しばしのやすらぎを醸しだしている。
3月に「イギリスからの賜り物」を記してから、次はドイツになるだろうと簡単なメモを残して置きながら、書き出しはゲーテかニーチェか。デュラーやベートベンもいると迷っている間に、いつしか年の瀬を迎えてしまった。
この間、金沢市民劇場の例会の一つに、抗ナチズムに命を捧げた女子学生を主人公にした「白バラの祈り」という劇が上演され、ヒロイン『ゾフィー』が吐くセリフに「ドイツの誇り、それはゲーテやシラーだ。ベートベン・ワグナーもいる・・」云々があって、彼も「やっぱりね」と肯いている。
生き方や己の存在の根源を揺さぶるようなニーチェの数々の文節。アフォリズムの宝庫とも言える中から、一つだけ採り上げよう。
― 芸術衝動には、過剰・陶酔・激情にむかうディオニュソス的(酒神)なものと秩序・明晰・静観・夢想の方向に進むアポロン的(太陽神)の二種類がある ―
講談社刊の「人類の知的遺産54 ニーチェ」の巻末に、鉛筆で記入されているのは「’91・3・7読了」の文字。この年の1・2月、比較的ゆったりと読書時間がとれる頃のこと、一言一句を味わいながら読んでいたらしく、抜き書きもダントツだ。
ゲーテは、河出書房社刊「世界文学全集2 ゲーテ」が書棚に残っている。
読了日は1960年9月とあるから、50年以上も前で、彼にとっては、青春時代真っ只中での読書。その頃は、併載の「若いウェルテルの悩み」の方に感激していたようだ。’01年と’03年に「ファスト」を改めて読み直しているが、人生経験を重ねないとその味わいが解らない文章が多い。
― 金も医者も魔法もなしに、若返らせる方法。
すぐに畑に出かけて
耕したり、掘ったりし始めなさい
そして、身も心も
ごく限られた範囲に閉じこめておくのです。
まじりけのない食物でからだを養い、家畜といっしょに・・(略)-
というメフィストの言葉などに、カラーペンのマークが印されている。
春から秋にかけて、三矢は2haの水田の稲作に従事している。適度の労働と自然環境との交感に、日々充足を感じているが、ゲーテのこの文節などが、精神的なバックボーンとなっているようだ。
机の上に、本棚から抜き出したばかりの新潮世界文学37「ヘッセⅡ」がある。作者の写真を表紙に配した、800ページ余の分厚い文芸書だ。その中で半分近いページ数を占める「ガラス玉演戯」は’87・1月読了の書き込みがある。文芸書はほとんど読まなくなっていたこの時期に、再読であれ書棚から取り出しているのには、それだけの思い入れがあったのだろう。
高校生の夏休み読書感想文コンクールの推奨リストの中に、へルマン・ヘッセの「車輪の下」があって、これが彼とヘッセとの出会いのきっかけだった。その後、通学していた高校近くのT書店で、手にした「知と愛」。
ナルチスとゴルトムントという二人の友情を通して、思春期の希望と不安を繊細な筆致で描くヘッセにすっかり傾倒。
以降日本文学では掘辰雄、外国文学ではヘッセとなり、「春の嵐」「郷愁」「デミアン」「荒野の狼」など数冊のヘッセ著作が愛蔵書として本棚の一角を占めることになった。また、学生時代は、リルケやハイネなどの詩を手軽な文庫本で親しんでいる。
‘73年の7~8月にかけて、県ユースホステル協会のヨーロッパホステリングの一員として、彼は30日間でパリ・アムステルダム・ゲント・チューリッヒ・ローマなど主要都市を巡り、ドイツではケルン・ハ―ゲン・フランクフルト・ミュンヘンなどを訪ねている。
ノイシュバンシュタイン城で名高いロマンチック街道の一都市ローテンブルグでの印象記を次に記す。
― 数百年前そのままと思われる石畳の道々(略)中世そのままの風情を残すローテンブルグ。夕食後に城壁の外の谷あいにある散歩道で、そぞろ歩きを楽しんだ。―
そして、ミュンヘンでは、美術館の壁面を埋めるデューラーの油彩画に圧倒されている。
年末になると、毎年いろいろな所で「第九」の演奏が恒例化。作曲は言わずと知れたベートベン、その5番目の交響曲「運命」とともに広く知られている。三矢自身は、音がひしめき合う交響曲よりは、むしろピアノ協奏曲「月光」のような曲が好みだが・。「ローエングリーン」などの楽劇で有名なワグナーもドイツ生まれだ。
* * *
前回のイギリスのように、手がかりになる人名一覧が無いので、この文を綴るために、本棚のアチコチから抜き出した抜粋ノートや読書録。こういう形で利用するなど考えてもいなかったが、確認のため参照していると、その当時に、彼が過ごした時間や驚いたり共感したことの一部が脳裏に蘇り、古いアルバムをめくるかの印象が強かった。
ミステリーと環境問題
「やっぱり・」と三矢は思った。
机の上に広げたノートに記されている文字は、F・カプラ著「ターニング・ポイント」。’87年9月の読了だ。それまでは手書きでつけていた購読書メモを、ページ数を節減しようと、ワープロで年毎に集約するようになった最初のページにあった。この年は、ほかにも「ホロン革命」や「ゲーデル、エッシャ―、バッハ」など、彼としては少し毛色の変わった本に手を出している。
開いたノートの行間から、この著書は、彼が生涯に読んだ数多の本の中でも、強い衝撃を受けたものの十指に入ると思われる内容を持つ一冊だったことが想い起こされる。
三矢が購読書メモを開くきっかけとなったのは、通常は読んだり読まなかったりする巻末の初出誌の項。そこには、「小説現代’89年9月号~11月号」と記されていた。その行に蛍光マーカーで、彼は印をつけたばかりのところ。そして、本棚に収納してあった「ターニング・ポイント」を抜き出して、発行年月を確かめると’84年11月第一刷とある。
’84年から’89年はほぼ5年間あり、内田氏がこの本を手にし、構想していた小説の中にF・カプラ氏の思想というか、社会の在り方への批判に共鳴し、氏なりの表現で盛り込むには充分すぎる年月であろう。
以下、内田康夫著「琵琶湖周航殺人歌」からの要約や抜粋。
自分たちの利益のためには、不都合な人物の命を抹殺することなど平気な人間が、素人探偵浅見光彦に追い詰められて、最後の述懐めいた言葉を吐くシーンに
―― 私は父親の事業を扶けて、生涯を琵琶湖の開発に捧げるつもりでした。(中略)開発を進めれば進めるほど琵琶湖を穢すことになるなど、浅はかながら思いもよらないことでした。
弁解するわけではないが、終戦直後から昭和三十年代にかけての当時は、開発や建設は最大の美徳であったのです。私の父は敗戦の悔しさをぶつけるようににして、ほとんど蛮勇といってもいいような猛烈さで事業を興し、私を含めた社の幹部連中を叱咤激励して際限のない発展を目指した。会社は大きくなり、日本中がそうであったように、われわれの生活は向上したけれど、気がついたときには、わが愛する琵琶湖は汚染が始まっていました。しかし、猛スピードで走っていた船が停まれないように、行き足のついた事業は走りつづけるほかはありませんでしたよ。あなた方のような若い人には理解できないかもしれないが、国の政治から末端に到るまで、そういう仕組みになっていたと思ってください。
(中略)本来ほとんど悪意などなかった事業によって、琵琶湖は死にかけてしまったのです。それなのに、愚かなことだが、われわれは、この営みを止めることができない。――
少し長いが、ミステリー小説の末尾近くに書かれた上記の引用文こそ、著者内田氏の執筆眼目と推察される。もちろん、ミステリーだから主眼は謎解きだが、それにより添って、氏が取材過程で目にした赤潮やメタンガスの発生など、琵琶湖周辺の深刻な水質汚染の実態が全編を通して嘆くように記述されていた。
内田氏の上記引用文の個所で、三矢は若いころに読んだ「ターニング・ポイント」のある一節を思い出した。
― ヘンダーソンが書いているように、“彼らは美しく輝く皿や服については知らせてくれるが、美しく輝く川や湖が消えてしまうことについては知らん顔だ”(同書370ページ)―
赤鉛筆で丁寧に傍線が引かれ、そのページにのみ、細く切った付箋が貼られていることからも分るように、この一文こそ彼のその後の生き方を決定づけたものだから・・。
当時、陶磁器メーカーに在籍していた彼は、まさにヘンダーソン氏指摘の「美しい皿」を製造する側にいて、環境汚染には無関心というか身近かに内田氏が描くような問題があることすら知ろうとしていなかった。
* * * *
数年後、父親の死去などもあって、彼は早めに会社を辞めた。以降2ヘクタール余の稲作の中で、季節の細やかな移ろいを心のよすがとして生きて来た。この転機には、まさに「ターニング・ポイント」の一節が強い影響を及ぼしている。
また、滋賀県知事選が環境派か否かで争われたという数年前の報道が、この小説を読んでいて思い出された。そして、この文を推敲している最中に、今回の衆議院総選挙をにらんで、その滋賀県知事嘉田氏が「卒原発」を旗印に新党を結成したという報道。
小説が発表されて20年余。船の舵は、少しずつだが切られているだろうか?
作中人物のわずかな接点の中から謎解きの細い糸が、少しずつ手繰り寄せられるミステリーだが、古本屋でたまたま手にした一冊の著述を通して、作者内田氏との思考過程の類似に、三矢は人生模様の機微をしみじみ感じている。
(’12-11-30)