「やっぱり・」と三矢は思った。
机の上に広げたノートに記されている文字は、F・カプラ著「ターニング・ポイント」。’87年9月の読了だ。それまでは手書きでつけていた購読書メモを、ページ数を節減しようと、ワープロで年毎に集約するようになった最初のページにあった。この年は、ほかにも「ホロン革命」や「ゲーデル、エッシャ―、バッハ」など、彼としては少し毛色の変わった本に手を出している。
開いたノートの行間から、この著書は、彼が生涯に読んだ数多の本の中でも、強い衝撃を受けたものの十指に入ると思われる内容を持つ一冊だったことが想い起こされる。
三矢が購読書メモを開くきっかけとなったのは、通常は読んだり読まなかったりする巻末の初出誌の項。そこには、「小説現代’89年9月号~11月号」と記されていた。その行に蛍光マーカーで、彼は印をつけたばかりのところ。そして、本棚に収納してあった「ターニング・ポイント」を抜き出して、発行年月を確かめると’84年11月第一刷とある。
’84年から’89年はほぼ5年間あり、内田氏がこの本を手にし、構想していた小説の中にF・カプラ氏の思想というか、社会の在り方への批判に共鳴し、氏なりの表現で盛り込むには充分すぎる年月であろう。
以下、内田康夫著「琵琶湖周航殺人歌」からの要約や抜粋。
自分たちの利益のためには、不都合な人物の命を抹殺することなど平気な人間が、素人探偵浅見光彦に追い詰められて、最後の述懐めいた言葉を吐くシーンに
―― 私は父親の事業を扶けて、生涯を琵琶湖の開発に捧げるつもりでした。(中略)開発を進めれば進めるほど琵琶湖を穢すことになるなど、浅はかながら思いもよらないことでした。
弁解するわけではないが、終戦直後から昭和三十年代にかけての当時は、開発や建設は最大の美徳であったのです。私の父は敗戦の悔しさをぶつけるようににして、ほとんど蛮勇といってもいいような猛烈さで事業を興し、私を含めた社の幹部連中を叱咤激励して際限のない発展を目指した。会社は大きくなり、日本中がそうであったように、われわれの生活は向上したけれど、気がついたときには、わが愛する琵琶湖は汚染が始まっていました。しかし、猛スピードで走っていた船が停まれないように、行き足のついた事業は走りつづけるほかはありませんでしたよ。あなた方のような若い人には理解できないかもしれないが、国の政治から末端に到るまで、そういう仕組みになっていたと思ってください。
(中略)本来ほとんど悪意などなかった事業によって、琵琶湖は死にかけてしまったのです。それなのに、愚かなことだが、われわれは、この営みを止めることができない。――
少し長いが、ミステリー小説の末尾近くに書かれた上記の引用文こそ、著者内田氏の執筆眼目と推察される。もちろん、ミステリーだから主眼は謎解きだが、それにより添って、氏が取材過程で目にした赤潮やメタンガスの発生など、琵琶湖周辺の深刻な水質汚染の実態が全編を通して嘆くように記述されていた。
内田氏の上記引用文の個所で、三矢は若いころに読んだ「ターニング・ポイント」のある一節を思い出した。
― ヘンダーソンが書いているように、“彼らは美しく輝く皿や服については知らせてくれるが、美しく輝く川や湖が消えてしまうことについては知らん顔だ”(同書370ページ)―
赤鉛筆で丁寧に傍線が引かれ、そのページにのみ、細く切った付箋が貼られていることからも分るように、この一文こそ彼のその後の生き方を決定づけたものだから・・。
当時、陶磁器メーカーに在籍していた彼は、まさにヘンダーソン氏指摘の「美しい皿」を製造する側にいて、環境汚染には無関心というか身近かに内田氏が描くような問題があることすら知ろうとしていなかった。
* * * *
数年後、父親の死去などもあって、彼は早めに会社を辞めた。以降2ヘクタール余の稲作の中で、季節の細やかな移ろいを心のよすがとして生きて来た。この転機には、まさに「ターニング・ポイント」の一節が強い影響を及ぼしている。
また、滋賀県知事選が環境派か否かで争われたという数年前の報道が、この小説を読んでいて思い出された。そして、この文を推敲している最中に、今回の衆議院総選挙をにらんで、その滋賀県知事嘉田氏が「卒原発」を旗印に新党を結成したという報道。
小説が発表されて20年余。船の舵は、少しずつだが切られているだろうか?
作中人物のわずかな接点の中から謎解きの細い糸が、少しずつ手繰り寄せられるミステリーだが、古本屋でたまたま手にした一冊の著述を通して、作者内田氏との思考過程の類似に、三矢は人生模様の機微をしみじみ感じている。
(’12-11-30)